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いってきます。
私事にはなりますが、東京を離れ、関西に帰ることになりました。

約3年半、女御主人様とは少しづつ少しづつお互いを理解し合い日々を重ねて参りました。色々と悩みましたが、ベストな時期であり選択だと信じています。

先日、帰る前最後のプレイをしました。

首輪を着けて頂くこと、お姿を拝見すること、ひとつひとつの「大切な時」が進んで行きます。

終盤。一本鞭を頂くために四つん這いになりました。
「四つん這いになりな。」この言葉を聞くのは何回目でしょうか。

女御主人様の鞭が背中に触れ、馴らしが始まりました。
ゆっくり、、ゆっくりと。

「もう東京生活最後かぁ、。」
「一本鞭、今思うと出会った頃は全然受けられなかったなぁ。。」
急に想いがよぎり、目元じわっと霞んできました。

鞭が振り下ろされました。
目を閉じた僕の脳裏には、女御主人様と初めて出会った日のことが鮮やかに蘇ってきました。
そして、初めてのプレイの時のこと、遊びに行った日こと、飲んだくれた日のこと、たわいもない話をした日のこと•••

楽しかったな。。
振り下ろされる度、その一本一本がまるで女御主人様との日々のページをめくるように鮮明に思い起こされます。

不思議な感覚でした。

鞭を通して、女御主人様の気持ちが伝わってきました。
一本鞭は特別な、僕にとってはSMを超えたものになりました。

背中に受ける鞭、それはとてもとても暖かい鞭でした。

倒れた僕の髪を撫でて頂く女御主人様。ふと、目には涙が。。
その後、僕はしばらく涙が止まりませんでした。



最も自分の事を理解して頂ける存在は女御主人様です。
女御主人様と出会えた事はが奇跡であり運命です。
付き合い方が少しだけ変わるだけ。これからもどうぞよろしくお願いします。


行ってきます。
[2012/10/04 01:02] | 未分類 | トラックバック:(1) | コメント:(3) | page top↑
マゾキャンプ1~奴隷に課す当然~
後で、奴隷に聞いて、意外だったのが「立っているのが辛い」ということでした。
そう言えば、奴隷達が座る時間はありませんでしたね。
あまりにも、自然過ぎて気付きませんでした。

今回改めて思ったのは
不快に感じて、呼び出して動くのでは遅い。
ということです。
グラスが空になってしまったら、近くにいる奴隷に「ちょっと」と言えばグラスは満たされますが
注意する前の時間、注意すること、注意してから行動が完了するまで
は不快の状態の時間です。
声をかける前に気付いて行動しないとなりません。日頃から空になる前に注げとは注意しているのですが、徹底できていなかったので、見直すべきですね。

普段、家でも「お前」と呼ぶ時は腹立たしいです。
呼ぶという手間をかけさせられているわけですから。

私が連れた奴隷達が、
あなたのとこの奴隷はものを渡す時に両手で渡してエライね、躾てあるのね。と誉められたのですが
そこで躾について気付いたことがあります。

奴隷に対して「こうして当たり前」と思うことがいくつか自分の中にあるということです。
両手で渡すのも、グラスが空く前に注ぐのも当然で、奴隷がそうしていても私は「よし、できているな」とも気付かないと思います。

なので、今回、奴隷達が立ちっぱなし、ということに気付いてもいませんでした。
言われてみれば、確かに座る暇もなかった。
後ろや脇や壁際で立って、指示を待つ時間もあったのでしょうけど、視界にすら入っていませんでした。
奴隷の存在を感じるのは、できている時ではなく、できていない時です。
もし、奴隷が座り込んだりしたならば、私は気付いて叱りつけるでしょう。その存在に気付きます。
しかし、立っている限りそれは自然なことなので、意識に入ってきません。

誉める時は、当然、を越えた時です。
当然ができないことの方が多く、それを満たした上で越えることは、なかなか起きないので、私はどうしても加点に腰が重くなりました。

[2012/08/09 01:21] | 未分類 | トラックバック:(0) | コメント:(3) | page top↑
プレイをすること2
普段僕たちはお互い茶化したり冗談を言いあったりしています。
僕が言える立場にはありませんが、24時間の緊張状態は長くは続かないですし、社会もそうはさせないですよね。

だけど日常でも、勿論ベースは主従関係。
主従関係がなあなあになる事は望んでないですし女御主人様も同じはず。
なので適度な緊張感は常にもっているつもりです。

しかしこのバランスのコントロールはすごく難しい事だと思います。
日常と非日常、相反する欲求を求める事になりますから。
以前、別のお付き合いではなあなあの関係になってしまった事がありますが、長く一緒にいる場合などどうしても楽な方向へ流されてしまうのが人間です。

SM関係とはそんなものだという話も耳にします。
また普通の恋愛や結婚生活などでもきっと同じでしょう。

女御主人様にコントロール頂いているというのが実際のところなのでしょうけれども、女御主人様とは、上手くこのバランスを取り合う事ができていると感じています。

しかし、気づかず調子に乗っていると、時にご指摘を頂くはめになります。
そんな時のプレイ、といいますか、調教。

調教では少しでも反抗している態度をとったり、そう感じられると厳しい体罰をうけることになります。
始まると怖くて、返事一つにも緊張してしまいます。

「動物と同じだ」
と女御主人様はおっしゃいます。
肉体的に責められて辛い状況が続くと、精神も壊れて変わってきます。

そして一定のラインを越すと普段抵抗のある事も疑問に感じなくなります。

ちょっと大袈裟ですが、プレイ(調教)は、普段日常で怠けた気持ちを洗い流す大切なものだと感じています。

また、そのような意義とはまた別に、プレイはただ単順にそれだけで楽しいものでもあります。
[2012/05/10 13:26] | 未分類 | トラックバック:(0) | コメント:(4) | page top↑
プレイをすること
日常生活から、主従関係はあります。
だけど、奴隷も、意見を言いますし、少しの反論もします。控えめですが。
逆に、それができないと、普段の生活は送れませんね。私も疲れてしまいます。
そのバランスが取れていないと長い時間を共に過ごすのは難しいです。
日常生活から常に全てが、オールイエス、黒いものも白というわけにはいきません。
しかし、ある場面ではそれを求めることもありますので、そういった場面でできていないと非常に腹が立ちます。
バランスの問題です。
私の求めるバランス、切り替え、基本的には奴隷とはできていると思います。
けれども、最近は増長している傾向にあると思っていました。
常にこのバランスは意識してコントロールしないとなりませんね。

先日久しぶりに、「プレイ」をしました。
ボンデージを着て、切り替えてのプレイです。
日常の中に、または延長でFemDomをもってくるのも大好きですけれど、たまには切り替えてプレイをするのも良いでしょう。

メリハリになります。
あくまでも、お前は私の奴隷であって、日常での姿は仮である。
というのがハッキリするように思います。
立場を明確にし直せます。

私は、プレイの最中、わざとできないことを命令します。
あるいは、できなくなるまでやらせ続けます。
そうしてお仕置きを強要するのですが
「誰が悪いの?」
と聞きます。
当然、「僕です。」という言葉が返ってきますが、そこには僅かながら、反論の気持ちが滲んでいます。

叩いて、言い直しをさせると良いでしょう。
誰が悪いの?
繰り返していると、段々と服従していきます。奴隷の自分の意志が消えていくのがわかります。
従う、ということ以外に考える必要がない、とインプットしていきます。
プレイも後半になってくると、それが顕著です。
一度目から、心から濁りのないイエスが返ってきますから。
従属の純度が高まっていくのがよくわかって、満足感があります。
見上げる表情は、ひたすら、指示を待つ顔に変化していきます。

以前にも書きましたが、声に出させることは本人の意識を変えるのに適切です。言ってるいるうちに、精神も変わっていきます。
プレイではプラスして肉体を使って具現化するので、より強固に意識を変えられることでしょう。

プレイの動画を、後になって一緒に見ると、最後の方では奴隷がまるで人形のようになっているのがわかります。
一挙一動に本人の意志がありません。
そういった場所まで、追い込む過程が面白いです。
[2012/05/07 16:29] | 未分類 | トラックバック:(0) | コメント:(4) | page top↑
humanfurniture
お久しぶりの更新となってしまいました。
私事ですが、スマホを買って前よりパソコンを開かなくなったのと、以前よりも携帯から文字が打ちにくいのとで更新速度が遅くなっていました。

さて、今日はhumanfurnitureです。
日本で一番メジャーなのは、人間椅子でしょうか。
江戸川乱歩の小説にもでてきますよね。
最初から強く興味を持っていたジャンルではないのですが、
私が今の奴隷と初めてプレイした時はこれをやりました。

以前、食欲を制限する、という記事でも書きましたが
お盆を持たせて机の代わりにします。
これが案外、便利です。
ベッドに横たわっている時に手元にお酒が置いておけるので、ちょうど良い。
よって、そうしてよく使っています。

同じ体勢をずっと維持するのは、激しい痛みにさらされるのとはまた違った辛さがあります。

今まで、机にする時はお盆を持たせていましたが
新しく専用の道具を買いました。
腰に巻き付けるタイプです。
手で捧げ持つ場合は、腕に一番の負荷がかかりますが、これだときっと楽でしょうね。
楽な分だけジワジワと長い時間をかけていたぶれるので楽しい。
どんな楽な体勢であっても、1時間2時間、ずっと同じ体勢を取らなくてはならないのは辛いはずでしょう。

手で捧げ持つ場合は私はその腕の下に、ロープを張ります。
そうして、ここに腕がついたらいけない、と命令します。
楽なところから、段階を踏んで辛くしていくことは簡単です。
敢えて初めはストレスが少ない状態にする方が、そういった楽しみ方ができて楽しいかもしれません。
腕を固定させたら、更に微動だにできないように、私は鈴を付けます。
鳴らしてはいけないと命令するのですね。
逃げ道を潰して追い込んで行きます。

もっと、追い込みたかったら例えば載せるものを多くしたり、足元に障害物を置いたり、、発想は無限大で考えるとワクワクしますね(笑)

腰に巻き付けるタイプだと、辛いのは息が制限されることのようです。
お腹を動かしてトレイが不安定になるのが恐いようで、深く息が吸えません。
手はフリーになるので、後ろ手に拘束しましたが首輪につければもっとストレスがかかっていたでしょう。
それと腰にトレイがあるので、膝立ちにさせていましたが
膝にも負荷がかかるようです。

前回は、そうして細かいストレスをあらゆる方向から長時間与えたかったので
全頭マスクにハーネス、貞操帯をつけてた状態でトレイにしました。
視界が狭まって息がしにくく、身体も圧迫され、身体を動かしてはならないのが2時間以上。
私はテレビを見ていました。

奴隷は、奴隷で私の姿を限られた視界の中からずっと見ることができて嬉しかったようです。
馬が集中するためにマスクをつけるのと同じ効果があるのかもしれませんね。

そうそう。
後半になってきたら、私はまた意地悪をしました。
チーズとワインで晩酌していたのだけど、
半かけになったチーズを目の前に翳して
「これを、全部食べ終わったら許してあげる」

それはもう、ゆーーっくり食べてあげれば、愉快な表情に変わります。

食べ終わったら、もう1つ食べたくなっちゃった
と呟くと声が漏れでるのが聞こえます。

私は、段階を踏んで追い込んでいくのが好きです。
逃げ道を1つ1つ塞いでいって、閉じ込めてしまうのが楽しい。
[2012/04/17 09:57] | 未分類 | トラックバック:(0) | コメント:(0) | page top↑
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